箱根ジオパーク

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H6 関所と石畳(せきしょといしだたみ)

~江戸時代の東と西をつなぐ歴史のみち~
Hakone Sekisho (Checkpoint) and Stone-paved Road

ジオサイト解説

箱根関所は、警戒や防衛に優れた場所として、芦ノ湖に半島状に突き出た塔ヶ島(現在の恩賜公園)と屏風山に挟まれた狭窄部に位置していました。この塔ヶ島(未区分の外輪山噴出物)と前期中央火口丘(※1)である屏風山の間には、箱根地区と元箱根地区の湖岸に沿って箱根町-宮城野断層とよばれる断層が走っていますが、この断層は、箱根火山南部にある丹那断層(※2)の北方延長と考えられています。1930 年の北伊豆地震の際に動いたことが知られています。
徳川家康の時代に各所に設けられた関所は、江戸防衛という重要な役割を担っていましたが、特に箱根関所は東海道きっての難所である箱根山中に設けられ、重要視されました。
箱根を行く山道には当初「ハコネダケ(※3)」が敷かれていましたが、後に付近から産出される石を利用し、石畳の道に付け替えられました。

※1 前期中央火口丘:カルデラの中にできた比較的小さな火山体を中央火口丘という。箱根火山では前期、後期2つの活動期がある。
※2 丹那断層:伊豆半島を南北に走る活断層で、1930(昭和5)年の北伊豆地震の震源断層である(詳しくは伊豆半島ジオパークのホームページ参照)。
※3 ハコネダケ:アズマザサ(P.chino)の変種で、箱根山とその周辺に多く分布する小型の竹です(イネ科)。
 

The Hakone Sekisho (checkpoint) was one of the most important checkpoints on the steep Hakone section of the old Tokaido (Tokyo to Kyoto and Osaka) Highway.
The Hakone Sekisho was located between the Togashima peninsula in southern Lake Ashinoko and Mt. Byobuyama.
The Hakonemachi Fault, an extension of the Tanna Fault that was the source of the North Izu earthquake of 1930, runs across the base of the peninsula; the fault affected the shape of the central cones.

<解説板の内容が閲覧できます>

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用語解説

関所の役割

江戸時代の関所は、軍事的な要塞という役割から、旅人や街道を行き来する荷物の検査にあたる警察的な役割へと、変化していったと考えられています。とくに、人質として江戸に住まわせていた大名の奥方が国元に逃げ帰ることによって、幕府に対する謀反が起こらないようにすること、また大量の武器が無断で江戸へ持ち込まれないようにすることに、厳しい監視の目を光らせていたようです。(提供:箱根町)

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関所の役人たち

箱根関所には、伴頭1名、横目付1名、番士2~4名、定番人3名、足軽15名など常時20数名の役人が勤務していました。また、女性の通行を厳しく取り締まる人見女という女の役人もいました。これらの役人たちは小田原藩から禄(給料)を貰っており、定番人と人見女を除く役人たちは、1か月間関所に勤務すると、また次の役人に引き継ぎ、小田原へ帰って行くという交代勤務となっていました。定番人と人見女は関所近辺に住まいし、代々世襲でこれらの役に付き、関所改めの専門官としての仕事をこなしていました。(提供:箱根町)

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関所を通るには

箱根関所を通るために、手形の所持を必要とした、「出女」「手負(傷ついた人)」「死人」「不審者」以外の者は、無手形でも、関所を通ることができたようです。たとえば、伊勢参りの男性旅人「権兵衛さん」が関所へ来た場合、関所役人はまず「権兵衛さん」に手形の有無を問い聞きます。無手形の「権兵衛さん」が「手形は持っておりません。」と答えると、役人は番所へ呼び寄せ、名前や出身地、旅の目的や行先などを問いただします。この「入念な吟味」(詳しい検査)で、不審人物ではないとの判断が下れば、「権兵衛さん」は関所を通ることができるのです。(提供:箱根町)

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畑宿一里塚
畑宿一里塚

江戸時代旅人の目印として徳川幕府が作った、日本橋から数えて二十三里目にある塚です。箱根町の中では、湯本茶屋、畑宿、箱根の3か所にあった一里塚の中で、唯一その形態をとどめるものだそうです。標識樹として、塚の頂上に、畑宿から見て右側の塚には樅(もみ)の木を、左側の塚には槻(けやき)の木が植えられています。
(提供:箱根町観光協会)



キッズジオパーク

箱根関跡(はこねのせきあと)

箱根関跡(はこねのせきあと)

江戸時代(えどじだい)に入(はい)ると、幕府(ばくふ)は江戸(えど)を守(まも)るため、全国(ぜんこく)に関所(せきしょ)を設置(せっち)しました。
江戸時代(えどじだい)の初(はじ)めには、関所(せきしょ)は軍事的(ぐんじてき)な拠点(きょてん)として役割(やくわり)を果(は)たしていましたが、やがて平和(へいわ)な時代(じだい)となるにつれ、関所(せきしょ)の役割(やくわり)も安全(あんぜん)を守(まも)るのための警察的(けいさつてき)機能(きのう)へと移(うつ)り変(か)わっていきました。江戸時代(えどじだい)260年間(ねんかん)にわたって機能(きのう)してきた関所(せきしょ)も、幕府(ばくふ)が倒(たお)れた後(あと)、明治(めいじ)2年(ねん)にその役目(やくめ)を終(お)え、廃止(はいし)されました。
(提供:箱根町)


関連情報リンク

アクセス

関所
箱根登山電車「箱根湯本」駅から箱根登山バス「箱根町港」行き、または伊豆箱根バス「箱根関所跡」行き「箱根関所跡」下車 徒歩2分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石畳
箱根登山電車「箱根湯本」駅から箱根登山バス「旧街道経由 元箱根」行き「旧街道石畳」下車 徒歩10分

 

 

 

 

 

 

 

 


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