Ma5 しとどの窟(しとどのいわや)
~源頼朝が隠れたという伝承地の1つ~
Shitodo-no-iwaya Hidden Cave (in Manazuru)
ジオサイト解説
しとどの窟は、真鶴町真鶴港の近く、及び湯河原町北西に連なる城山にそれぞれある、源頼朝ゆかりの史跡です。1180(治承4)年、石橋山合戦で平家に敗れた源頼朝が、これらの地にあった洞窟に身を隠し、箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴海岸から安房国へと脱出したと伝えられています。
洞窟の岩石は、真鶴町では真鶴半島をつくる安山岩質の真鶴岬溶岩であり、湯河原町では、城山をつくる安山岩質の白糸川溶岩グループの火砕岩です。2か所ありますが、頼朝は房総半島へ渡るまでに、いくつかの洞窟に身を隠したと解釈されています。「しとどの窟」の名前の由来は、「シトト」と言われる鳥が洞窟内から急に飛び出してきたので、人影がないものとして追手が立ち去ったと言われているからです。
真鶴のものは、かつては高さ 2m、深さ 10m以上の海食洞(※1)であったと推定されますが、現状は地形改変後に再現したものです。真鶴は1923(大正 12)年の関東地震で隆起しました。
※1 海食洞:波の侵食により海食崖に形成された洞窟のこと。
This historic site near Manazuru Port is associated with Minamoto no Yoritomo.
After losing a battle with the Heike clan at Mt. Ishibasiyama in 1180, Minamoto no Yoritomo fled into the Hakone mountains, stayed in this cave, then escaped to Awa (south of present-day Chiba).
This sea cave was etched out by waves, and then lifted to its present elevation by the Great Kanto Earthquake.
After losing a battle with the Heike clan at Mt. Ishibasiyama in 1180, Minamoto no Yoritomo fled into the Hakone mountains, stayed in this cave, then escaped to Awa (south of present-day Chiba).
This sea cave was etched out by waves, and then lifted to its present elevation by the Great Kanto Earthquake.