O4 根府川(片浦海岸)(ねぶかわ(かたうらかいがん))
~大正関東地震の土砂災害の現場~
Nebukawa (Kataura coast)
ジオサイト解説
茨木のり子の詩にも歌われた相模湾の眺めが美しい根府川駅ですが、大正関東地震の際に駅裏の斜面が地滑りを起こし、駅舎と車両が押し流され200名が亡くなりました。南にある白糸川では、上流の山崩れに端を発した岩屑なだれが流れ下り、408名が亡くなりました。この他、海岸で遊泳中の児童20名が岩屑なだれと津波の挟み撃ちになり亡くなりました。駅舎横や岩泉寺、片浦小学校にある慰霊碑や、近くにある釈迦堂で当時をしのぶことが出来ます。
根府川の尾根伝いに断続的に「氏直の構」と考えられる戦国時代の土塁が残されており、江戸時代には白糸川岸に根府川関所が置かれ、小田原藩が警護するなど、当時は箱根火山が生み出した地形を生かした要害の地でした。また海岸に沿って、江戸城の石垣用に石を切り出した石丁場が開かれたため、安山岩を切り出す際にうがたれた楔穴(矢穴ともいう)の跡がある石が現在も点在しています。
Several monuments in and around Nebukawa Station are reminders of the natural disasters and tragedies caused by the 1923 Great Kanto Earthquake, such as the landslides behind Nebukawa Station and the debris flow that ran down through the Shiraitogawa River south of Nebukawa.
Historical sites associated with Minamoto no Yoritomo, such as the Ishibashiyama battlefield and Sanada-Reisha Temple, are located along the route from Nebukawa to Hayakawa.